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「障害」をどう表記するかについての、いち障害者としての見解

宇樹 義子宇樹 義子

作成日 2017/05/12 更新日2017/08/21 10,467views

ここ10年強、「障害」の表記方法がメディアや自治体などで「障害」「障がい」「障碍」など複数入り混じり、多くの人が混乱したり戸惑ったりする状況に陥っています。
この状況の中で、いち障害者である私が個人的にどんな見解を持っているかについてお伝えしたいと思います。

データは私の体感と一致

データは私の体感と一致

先の記事では、日本において「障害」の表記方法がどのように変遷してきたかの歴史についてまとめました。

上記の記事で紹介したそれぞれの資料のデータが示していた傾向は、私の観測範囲での体感とおおよそ一致していました。

データが示唆しているのは、「障がい」「しょうがい」と漢字をひらがなで置き換える表記方法を積極的に選ぼうとするのは少数派であり、かつ、どちらかというと当事者以外の人らしい、ということです。

ここから私が個人的に憶測することは、「彼らの中には『しょうがい者に障とか害という字を使うのは失礼』とする当事者以外からの少数の意見を気にかけるあまり、少し本質的課題を見失っている人がいるのではないか」ということです。

※もちろんデータの傾向からこう憶測しているだけなので、当事者の中にも「障害という表記は失礼で不快だから、障がいとひらいて書いてほしい」という人もいるかもしれません。

いち当事者としての本音

さまざまな立場の人を巻き込んだ真剣な議論がなされているところに水をさすようで申し訳ないのですが、私は
「戦前よりも昔のようにあからさまな差別語が使われるわけでもないのだから、表記の問題は結局は小さなことなのでは」
と感じてしまっています。

私のいち当事者としての本音は、こういったものです。

宇樹 義子
ほぼ同じ言葉をどう表記するかでケンケンガクガクするのであれば、その手間とお金で、今この瞬間私が感じている困りごとや苦しみをどうにかしてくれたら嬉しい…

だって、我々障害者がどんな名称で呼ばれようが、良くも悪くも我々の現状がすぐさま大きく変わるわけでもないからです。

正直に言うと私は、「障がい者」という表記を見るととてもモヤモヤします。
私という実際の存在をちゃんと見てくれていないにもかかわらず、「あなたのことをこんなにも気遣っていますよ!」とアピールされているような感じがしてしまうのです。
そして、私は「障がい者」としてその気遣いに感謝しなければならないような…

これは私の被害妄想かもしれませんし、
「たとえ形だけであっても気遣いを示したい」というその気持ちはとてもありがたいです。
だからこそ、自分がその気遣いをまっすぐに喜んでは受けとれないのがとても申し訳ない…

支援を必要としている側が周囲に対して気を遣わなければならない違和感・苦しみについては、こちらの記事に詳しく書いています。

過剰な配慮はかえって当事者を傷つけることも

過剰な配慮はかえって当事者を傷つけることも

私が小学生だったころのことです。
盲人(ご本人がそう自称していらっしゃいます)の画家・作家エム・ナマエさんという方が、学校に講演にいらっしゃいました。

彼は、

「私は『お目のご不自由な方』などと言われるとバカにされたような気分になる。
あんな言葉大嫌いだ。
『目の見えない人』ではなぜいけないのか」

といったような内容のことをおっしゃいました。
過剰な配慮はかえって当事者を傷つけることがある。
大事なのは表面の言葉をうんぬんすることではない。
一方的に憐れんで腫れ物に触るようにするのでなく、
まずは同じ人間として対等に相対する態度で接することだ。
そんなことをナマエさんはおっしゃりたかったのだと思います。

当時私は小さかったのではっきり今のように言語化して理解することはできませんでした。
しかし、彼の言葉は大きな衝撃と強い納得感をもって私の胸に残っていて、30年ほど経った今でも折にふれて思い出します。

「障害者」表記を推したい

「障害者」表記を推したい

そんなわけで、私個人の当事者としての現在の考えは、「『障害者』という表記を推していきたい」ということです。

「障碍」も悪くないけど…

内閣府での暫定的見解でも「障害者」表記を行うということになっていますし、法律文書などでも現状「障害者」と書くのが慣例となっています。

以下のような意見は大半が納得できるものなので、「障碍者」という表記も悪くないなと思いますし、使う人や団体があっても全く構わないと思います。

(障害者団体:東京青い芝の会)
「碍」は電流を遮断する「碍子」などで用いられているように、「カベ」を意味する言葉である。社会が「カベ」を形成していること、当事者自らの中にも「カベ」に立ち向かうべき意識改革の課題があるとの観点を踏まえ、「碍」の字を使うよう提唱してきた。

(精神障害関連法人:特定非営利活動法人芦屋メンタルサポートセンター)
…中略…中国、韓国、台湾など漢字圏において、「しょうがい」は「障碍」又は「障礙」と表記されている。一例として「障碍人の権利に関する協約」(韓国)。東アジアの漢字圏において、日本が障害者福祉の面で リーダーシップを発揮する場合に備えて、表記を「障碍」に改めておくべきではないか。
「障害」の表記は「医学モデル」であるのに対し、「障碍」の表記は「社会モデル」そのものではないか。

内閣府

ただ、違うのは表記だけですし、青い芝の会の考えをあえて突き詰めれば「『カベ』という字を使うのは失礼だ」という難癖をつけることもできてしまいます。

本質的でないことに労力を割いてほしくない

細かな表記替えの繰り返しは、ある種の言葉狩りのようなものでもあると感じます。
同様のアプローチをしている限りは、問題の決着や、障害者の生きる環境の改善という、本質的部分への大きな切り込みは実現しないのではないでしょうか。

私には、「障害」と「障碍」の間には、一般の人にとっての読みやすさを犠牲にし、手間をかけてまでわざわざ表記を変えるべきと考えられるほどの本質的違いはないように思われます。

こだわりすぎると逆にリスクも出てくるかも

また、東京青い芝の会では同じ資料で以下のようにも述べていますが、この考えもなるほどと思えるものです。

「害」は「公害」、「害悪」、「害虫」の「害」であり、当事者の存在を害 であるとする社会の価値観を助長してきた。

しかし、避ける理由が納得のいくものであるにしろ、「害」という表記を避けようとすること自体が、どこか医学モデル時代の考えに引きずられているような感じが、個人的には否めません。

もともと「障害」という言葉に特段悪い意味を感じていなかった人が、「害」を避ける動きが普及した結果逆にタブー感を抱くようになってしまったりと、結果的にかえって差別感覚を引き起こしてしまうリスクも、内閣府の資料内で指摘されています。

まとめ

こういったことから、現時点の私個人の意見として言えることは以下です。

  • 「障碍者」という表記を、「障害者」表記のひとつのバリエーションとして個々の人・団体が使うケースがあっても全くかまわない
  • 現状であえて「障碍者」という書き方を推奨したいという気持ちにはならない
  • 内閣府の暫定的見解は比較的バランスのとれたものとして支持したい

今後も考えていきたい

今後も考えていきたい

マイノリティの呼称はほんとうにそのときの社会状況に左右されるもので、これが絶対正解というものはありません。
ごく普通の言葉だったものが突然差別語・侮蔑語として使われるようになることだってあるのです(たとえば「おまえアスペかよ」など)。

でも、100%の正解がない中でも、セカンドベストを探し続けていくことはできるはずです。
「障害」の表記や呼称について、今後もいち当事者として、感覚を研ぎ澄ませながら考え続けていきたいと思います。

宇樹 義子

宇樹 義子

成人発達障害者(高機能自閉症)。30過ぎまで発達障害が発覚しなかったこともあり、思春期から20年ほどもろもろの二次障害に苦しみました。自身の経験をもとに、発達障害者や悩みを抱えた人に向けていろいろと発信中。ライターの仕事のかたわら、個人ブログ「decinormal」を運営。動物が大好き!

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