発達障害をかかえてスーパーで働く!そこは想像以上の地獄だった! | 障害者の就労支援・情報サイト【凸凹ナビ】

発達障害をかかえてスーパーで働く!そこは想像以上の地獄だった!

詫磨 一紫詫磨 一紫

作成日 2018/02/09 更新日2018/02/28 10,031views

憂鬱だった学生生活が終わり、いよいよ社会に出た筆者。「違う人生がはじまるのではないか」と期待していましたが、想像以上に人生に躓きます。

自分に発達障害があるだなんて、このときは思ってもみなかったのです。

地元のスーパーで働いてみた

これまでは主に小学生時代など、学生時代のお話をさせていただきました。今回は、初めて社会人として働き出したときのお話をさせていただこうかと思います。

私は高校をなんとか卒業したあと、途方に暮れていました。私は就職氷河期世代で、本当に就職には苦労しました。募集自体かかっていないのです。

私は正社員として雇ってくれるところを見つけることができず、高校を卒業した後、18歳から22歳までの4年間パートとして近所のスーパーに働きに出ることになりました。

時給は780円で高いとは言えませんが、贅沢は言えません。スーパーはとても馴染み深い場所。気軽な気分での応募でした。しかし、このスーパーで、私は人生の大きな挫折をすることになるのです…。

商品の発注ミスが連発

スーパーの仕事はいくつかあります。まず、レジ。それに商品出し、返品作業、発注。大まかに言うとこんな感じです。店にもよるでしょうが、これをチームプレーで進めて行きます。

販売する商品は大まかに分類してそれぞれに担当をつけます。担当をした製品の商品出し、発注や返品を行いつつレジも担当します。

何時までに発注しないと間に合わないのにレジから抜けられない。発注したけど思っていたより売れて商品が足りなくなってしまった。こんな小さなミスは誰にでもあります。

しかし、それが尋常でないくらい現れてしまったのが私でした。

商品出しに夢中になるあまりレジ作業を無視してしまう、発注ミスで商品が大量に届いてしまう、または足りなくなってしまうなど、毎日店長に怒られていました。

私はお味噌やお醤油、お麩やドレッシングの担当でした。頻繁に売れるお味噌やお醤油を欠品することは許されません。しかし、私は先行きの見通しを立てることが苦手で、よく欠品を出してしまいました。

かと思えば、1年に売れる時期が決まっているような、普段なかなか売れることのないお麩を大量に注文してしまうこともありました。お麩は賞味期限の長い商品にも関わらず、賞味期限切れにしてしまうなど、店長も呆れるようなミスをしてしまっていました。

レジではパニック状態

製品はまだいいのです。問題はレジです。

この頃の自分は、発達障害を抱えているなんて露ほども知りませんでした。加えて算数障害もあります。私は簡単な足し算引き算にも苦労して、指で数えて計算することが今でもあります。数字の羅列を見ると、ところどころ潰れて見えたり、白く飛んで見えたり、そもそも数字を認識することが難しいことがあります。

そんななか、お客様が自分のレジに並んで、私はバーコードに商品を通します。通した瞬間、

あれ?これ今バーコードに通したかな?
作業記憶が極端に悪い私は、自分の起こした行動を覚えていることができませんでした。

自分自身に不安を覚えながらレジ打ちをし、最後にお金を受け取ります。「◯◯円になります」お客様が1万円札をくれました。

あれ?この1万円札どうしたんだっけ?お客様に貰ったんだっけ?自分が出したんだっけ…?
作業記憶が保てずに、もうパニック状態でした。仕事がままならないのです。でも、それでも自分の状態が異常だとは気づかないのです。

叱られ続けて、重度のうつ病に…

1日の仕事が終わり、最後の業務であるレジを締める作業もひと苦労で、1度でレジの計算が終わったことがありません。レジのお金は毎日のように合わず、周りの仲間にも呆れられていました。それでも自分なりに必死になって仕事をしました。

みんなできている。自分にもできるはずだ。

22歳のある日、私は記憶をぽつりと途切れさせました。トイレでカッターナイフで腕をザクザクと切り刻み、病院に運ばれたのです。どう運ばれたのかも覚えてはいませんし、どうして腕を切ったのかも覚えてはいません。

みんなと同じようにできるはずだ。みんなと同じ土俵にいると信じきって無理を続けた結果、私は重度のうつ病を患ってしまいました。その後5年間、症状に苦しみました。

発達障害の知識と工夫があったなら…

私にはみんなと同じ土俵など、用意されていなかったのです。今なら「じゃあ違う方法でやってみよう」と対応策を講じることができたかもしれませんが、当時の発達障害という言葉すら知らなかった私には、無理な話でした。

発達障害者は、定型発達の人と同じ方法で仕事をするということが難しいことが多いです。しかし、違う方法ならできることでだって多いはずです。

どうしてもできないことだってありますけど、そんなことは無理にする必要はないと思います。足が早く走れる人、そうではない人がいるように、個人差というのは誰にでもあるものなのです。

当時の私に必要なのは、発達障害についての知識でした。私が発達障害という言葉を知ったのは、33歳のとき。インターネットで何気なく見た広告でのことでした。

なんだか自分に当てはまる…。
思い切ってその日のうちに診察の予約を入れ、じっくり複数回にかけて検査をしてもらうと、発達障害と診断されました。なんだかとてもスッキリした気持ちになりました。それまでの自分の人生に納得がいったというか、合点がいったというか。

もっと早くに自分が発達障害と知っていれば、今の自分のように、フラフラとでも発達障害を乗りこなすことで職場に順応することができたと思います。

37歳の今の私は、今の職場に順応できています。発達障害の知識と工夫と、みなさんの協力で。

詫磨 一紫

詫磨 一紫

温泉の国でドンくさい人生を歩んでいたら、ある日突然「あなたは発達障害だよ」と言われたADHDとASD当事者。温泉の国からのんびり発達障害を語っていきます。

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