成人になって発達障害の診断を受けたら最初にするべきこと

宇樹 義子宇樹 義子

作成日 2017/03/13 更新日 2017/04/18 3,273views

成人になってようやく発達障害の診断を受けても、調べてみて見つかる情報は残念ながら大半が発達障害児とその保護者向けだったりします。
成人向けの情報やロールモデルの少なさに途方に暮れてしまっている人は多いでしょう。

今回は、成人発達障害者が診断を受けたら最初にするべきことについて、30を過ぎてから診断を受けた発達障害者である私の経験にもとづいてお伝えします。

路頭に投げ出されたような気分

路頭に投げ出されたような気分

30歳を過ぎて診断を受け、自分がおおっぴらに(?)障害者であるとわかったはいいものの、次の瞬間に私はポイとそのまま路頭に投げ出されたような気分になりました。

当時、二次障害そのものも重かったし、覚悟していたとはいえ診断のショックは大きく、実はこの時期の記憶が薄いです。
だから私が記憶違いをしている可能性も高いですが、私には主治医の先生が
「当時の私にとって十分と感じられる量の情報を、十分な温かさと共にくれた」
という印象はありません。

ネット検索してみても、ヒットするのは大半が発達障害児とその保護者向けの情報で、成人当事者向けのものはとても少ない…
信頼のおける情報となるとなおさらでした。
寄る辺がなかったし、正直、「世の中め、私を無視しやがって」と少し腹も立ちました。

でも、だからといって嘆いていては私の人生進みません。
世の中だって、いくら泣こうが喚こうが、すぐに変わってくれるわけではありません。

人生は短い。
私がこれから幸せになれるかどうか、そもそも生きていけるかがかかっていましたから、大いにあがきました。

支援者に出会え!

支援者に出会え!

どういう経緯だったのかどうしても思い出せなくて申し訳ないのですが※、私は確か診断から数日かそこらで「ともかく支援者とつながらなければ!」と強く決意しました。

※本当はここの経緯を伝えられなければ意味がないのですが、申し訳ありません、思い出せないのです。
主治医やソーシャルワーカー、友人など、どこかで誰かが情報をくれたのかもしれません、その場合は忘れちゃってて本当にごめんなさい。
私を助けてくださったすべての方に感謝しています。

ネット検索や、手元にあった自治体のパンフレットなどを参照しながら、2つの支援機関を探し出して電話をかけました。

  • 障害者就労・生活支援センター
  • 発達障害者支援センター

どちらも、成人発達障害者に対してきめ細かい支援をしてくれます。
手帳の申請などの書類作成や生活について、本当にいろいろ助けてもらえました。

支援者とつながらなければと思うに至ったきっかけは思い出せないものの、いまとなっては、当時の自分の考えは間違っていなかったと確信しています。

上記2つの支援機関やその他の相談先については、こちらの過去記事をご覧ください。

支援者は障害者の人生の運転助手

支援者は障害者の人生の運転助手

いま、幸いにも私はぼちぼち働くことができるようになり、家事はまあまあこなし、趣味も楽しめるようになっています。
彼らのおかげで自分はここまで来れた、一人では絶対に来られなかった… そう思っています。

私の障害者人生をドライバー人生にたとえるなら、支援者は運転助手。
診断直後だった当時の私は、いわば初心者マークつきの障害者です。
べつに好んで障害者人生を選んだわけではないですが、ここに投げ込まれてしまった以上、ここを走るしかなかった。

そうして右も左もわからない道を、それでも進まなければならないからおぼつかない運転で進もうとするとき、彼らはいつも隣に座って、丁寧にリードしてくれたのです。

支援者
…ここは飛び出しが多いから注意してください。
ここはこのまま直進して大丈夫です。
5分進んだ先にコンビニがあります。
けっこう走ったから一休みしましょう。
地図ですか? 持っていますよ。
行き先の電話番号? 持ってます

私は運良く良い支援者とばかり出会えたのかもしれません。けれど…

支援者
今まで本当にお困りだったんですね。お電話ありがとうございます。支援させていただきます

震える手と声で電話をかけた私に、そんなふうに支援者の方が答えてくれたときの気持ちを、私は一生忘れないでしょう。
こんな私を受け入れ、助けてくれる人がこの世にいたんだ、と、天から光が射したような気持ちになったのです。

支援者に出会うと起きること

支援者に出会うと起きること

いままで書いたとおり、私は支援者と出会ってものすごく救われました。
そして、助けられながら少しずつ、「障害者として生きることに慣れ」ていきました。
けれど、それにはそれでつらいところもありました。

「障害者として生きる」心構えができていく

彼ら支援者は、複数人でチームを組んで私の支援をしてくれました。
どこに行っても排除され、甘えだ、わがままだと責められてきた私は、「こんな私のために」複数人が時間と力を割いてくれることに心底驚きました。

同時に私は、
「ああ、私はこうまでして助けられていい人間だったんだ。
つらかったのは当たり前だし、助けてと言ってもよかったんだ
と、とても救われたのです。

また、
「これが障害者ということなのだ。
こんなに人の温かさに包まれて生きられるならば、
障害者であるということはそんなに悪いことでもないのかもしれない。
胸を張って生きてみよう」
こんなふうにも思いました。

「助けられれば生きられる私」VS「助けられなければ生きられない私」

こうして精神的に救われ、価値観が変化していく一方で、ときどき突然深く落ち込むことがありました。
まるでオセロの白と黒のように、同じひとつの現実がまったく別の解釈で心に入ってくることがあったのです。

それは、
「助けられれば生きられる私」
「助けられなければ生きられない私」
という2つの解釈でした。

障害者である自分を肯定的に捉えられている間は
「助けられれば生きられる(≒だから救われるなあ)」
というように考えられます。

けれど、気持ちがクルッとひっくり返って否定的になっているときは
「助けられなければ生きられない(≒なんて情けないんだろう、私は社会のお荷物かもしれない)」
というように考えてしまうのです。

この件についてはまた別の記事に詳しく書きますが、人に助けられ情をかけられることは、救われることでありながらも同時にとても気持ちの傷つくできごとでもあります

これは、障害者や弱者の多くが直面せざるをえない問題です。

私の場合はこれを、「だから働きたい」という気持ちに転化し、運良く実際に自分に合った働き方に出会うことができました。
しかし、そうしたエネルギーや環境に恵まれている人ばかりではありません。

支援を受けることで救われる面よりも傷つく面が多くなっている、というときは、支援を受けること自体も少しお休みしてもいいのかもしれません。

支援を受ける受けないも自由に決めていい

支援を受ける受けないも自由に決めていい

私個人としては、診断を受けたらまずは支援者と出会うことをおすすめしたいです。
けれど、人によって背景も現状も環境もそれぞれまったく違うもの。
支援を受けるタイミング、受ける量、そもそも受けるか受けないかは、人によるはず。
ここに書かれていたからといって、無理して支援を受けようとする必要はないのです。

人の生はすべて一歩一歩、高飛びはありません。
障害者の人生でも同じことが言えます。
成人になってからの診断では焦ることも多いですが、自戒も込めて言います。
どうぞ、ゆっくりと一歩一歩進んでください。
一歩も進めないと思ったら、立ち止まったっていいのです。

どうか、あなたにとっていちばん楽な、新しい人生の始まりを迎えることができますように。

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この記事を書いた人

宇樹 義子

宇樹 義子

成人発達障害者(高機能自閉症)。 30過ぎまで発達障害が発覚しなかったこともあり、思春期から20年ほどもろもろの二次障害に苦しみました。自身の経験をもとに、発達障害者や悩みを抱えた人に向けていろいろと発信中。 ライターの仕事のかたわら、個人ブログ「decinormal」を運営。動物が大好き!

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